に、な、殿、「とりあげ」に来たぞ、やいの。)
(嬰児《あかんぼ》を産ませるのか。)
(今、無い、ちょうど間に合うて「とりあげ」る小児《こども》は無い。)
(そんな、誂《あつら》えた[#「誂えた」は底本では「誹えた」]ようなお産があるものか、お前さん、頼まれて来たんじゃ無いのかね。)
(さればのう、頼まれても来たれど、な、催促にももう来たがいの。来たれどもの、仔細《しさい》あってまだ「とりあげ」られぬ。)
(むむ、まだ産れないのか。)
(何がいの、まだ、死にさらさぬ。)
(死……死なぬとは?)
(京への、京へ、遠くへ行ている、弟|和郎《わろ》に、一目《ひとめ》未練が残るげな。)
 幹事はハタと口をつぐんだ。
(そこでじゃがや、姉《あね》めが乳の下の鳩落《みずおち》な、蝮指《まむしゆび》の蒼《あお》い爪で、ぎりぎりと錐《きり》を揉《も》んで、白い手足をもがもがと、黒髪を煽《あお》って悶《もだ》えるのを見て、鳥ならば活《い》きながら、羽毛《けば》を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》った処よの。さて、それだけで帰りがけじゃい、の、殿、その帰るさに、これへ寄った。)
(そこに居るのは誰だ。)
 と向うの縁側の処から、子爵が声を懸けた。……私たちは、フト千騎の味方を得たように思う。
 ト此方《こなた》で澄まして、
(誰でも無いがの。)
(いや、誰でも構わん。が、洒落《しゃれ》も串戯《じょうだん》も可加減《いいかげん》にした方が可《い》いと思う。こう言うと大人気ないが、婦人も居てだ。土地っ児《こ》の娘も聞いてる……一座をすれば我々の連中だ。悪戯《いたずら》も可《い》いが、余り言う事が残酷過ぎる。……外の事じゃない。
 弟を愛して、――それが出来得る事でも出来ない事でも、その身代りに死ぬと云って覚悟をしている大病人。現に、夜伽《よとぎ》をして、あの通り、灯《あかり》がそこに見えるじゃないか。
 それこそ、何にも知らぬ事だ。ちっとも差支えは無いようなものの、あわれなその婦《おんな》を、直ぐ向うに苦しませておいて、呑気《のんき》そうに、夜通しのこの会さえ、何だか心ないような気がして、私なんぞは鬱《ふさ》いでいるんだ。
 仕様もあろうのに、その病人を材料《たね》にして、約束の生命《いのち》を「とりあげ」に来たが、一目弟を見たがるから猶予をした、胸に爪を立てて苦しませた
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