蚊帳《かや》の前を伝わった形が、昼間の闇《くら》がり坂のに肖《に》ていて堪《たま》らない処だもの、……烏は啼《な》く……とすぐにあの、寮の門《かど》で騒いだろう。
気にしたら、どうして、突然《いきなり》ポンプでも打撒《ぶちま》けたいくらいな処だ。
(いつから?……)
(つい今しがたから。)
(全体|前《ぜん》にから、あの物干の窓が気になってしようがなかったんですよ。……時々、電車のですかね、電《いなびかり》ですか、薄い蒼《あお》いのが、真暗《まっくら》な空へ、ぼっと映《さ》しますとね、黄色くなって、大きな森が出て、そして、五重の塔の突尖《とっさき》が見えるんですよ……上野でしょうか、天竺《てんじく》でしょうか、何にしても余程遠くで、方角が分りませんほど、私たちが見て凄《すご》かったんです。
その窓に居るんですもの。)
(もっとお言いなさいよ。)
(何です。)
(可厭《いや》だ、私は、)
(もっととは?)
(貴女《あなた》おっしゃいよ、)
と譲合った。トお種さんが、障《となり》のお三輪にも秘《かく》したそうに、
(頭にね、何ですか、手拭《てぬぐい》のようなものを、扁《ひらっ》たく畳んで載せているものなんです。貴下《あなた》がお話しの通りなの、……佐川さん。)
私は口が利けなかった。――無暗《むやみ》とね、火入《ひいれ》へ巻莨《まきたばこ》をこすり着けた。
お三輪の影が、火鉢を越して、震えながら、結綿《ゆいわた》が円髷《まげ》に附着《くッつ》いて、耳の傍《はた》で、
(お組さん、どこのか、お婆さんは、内へ入って来なくッて?)
(お婆さん……)
とぼやけた声。
(大きな声をおしでないよ。)
と焦《じれ》ったそうにたしなめると、大きく合点《がってん》々々しながら、
(来ましたよ。)
ときょとんとして、仰向いて、鉄瓶を撫《な》でて澄まして言うんだ。」
「来たの、」
と梅次が蘇生《よみがえ》った顔になる。
「三人が入乱れて、その方へ膝を向けた。
御注進の意気込みで、お三輪も、はらりとこっちへ立って、とんと坐って、せいせい言って、
(来たんですって。ちょいと、どこの人。)
と、でも、やっぱり、内証で言った。
胸から半分、障子の外へ、お組が、皆《みんな》が、油へ水をさすような澄ました細面《ほそおもて》の顔を出して、
(ええ、一人お見えになりましてすよ。)
(
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