可恐《おそろ》しく謙遜《けんそん》する。
 人々は促した。――

       十三

「――気が射《さ》したから、私は話すまい、と思った。けれども、行懸《ゆきがか》り[#ルビの「ゆきがか」は底本では「ゆきかが」]で、揉消《もみけ》すわけにも行かなかったもんだから、そこで何だ。途中で見たものの事を饒舌《しゃべ》ったが、」
 と民弥は、西片町《にしかたまち》のその住居《すまい》で、安価《やす》い竈《かまど》を背負《しょ》って立つ、所帯の相棒、すなわち梅次に仔細《しさい》を語る。……会のあった明晩《あくるばん》で、夏の日を、日が暮れてからやっと帰ったが、時候あたりで、一日寝ていたとも思われる。顔色も悪く、気も沈んで、太《いた》く疲れているらしかった。
 寒気がするとて、茶の間の火鉢に対向《さしむか》いで、
「はじめはそんな席へ持出すのに、余り栄《は》えな過ぎると思ったが、――先刻《さっき》から言った通り――三輪坊《みいぼう》がしたお照さんのその話を聞いてからは、自分だけかも知れないが、何とも言われないほど胸が鬱《ふさ》いだよ。第一、三輪坊が、どんなにか、可恐《こわ》がるだろう、と思ってね。
 場所が谷中だと言うんだろう、……私の出会ったのもやっぱりそこさ。――闇《くら》がり坂《ざか》を通った時だよ。」
「はあ、」と言って、梅次は、団扇《うちわ》を下に、胸をすっと手を支《つ》いた。が、黒繻子《くろじゅす》[#ルビの「くろじゅす」は底本では「くろじゅず」]の引掛《ひっか》け結びの帯のさがりを斜《ななめ》に辷《すべ》る、指の白さも、団扇の色の水浅葱《みずあさぎ》も、酒気《さけけ》の無い、寂しい茶の間に涼し過ぎた。
 民弥は寛《くつろ》ぎもしないで、端然《ちゃん》としながら、
「昨日《きのう》は、お葬式《とむらい》が後《おく》れてね、すっかり焼香の済んだのが、六時ちっと廻った時分。後で挨拶をしたり、……茶屋へ引揚げて施主たちに分れると、もう七時じゃないか。
 会は夜あかしなんだけれど、ゆっくり話そうって、幹事からの通知は七時遅からず。私にも何かの都合で、一足早く。承知した、と約束がしてある。……
 久しぶりのお天気だし、涼《すずし》いし、紋着《もんつき》で散歩もおかしなものだけれども、ちょうど可《い》い。廓《なか》まで歩行《ある》いて、と家《うち》を出る時には思ったんだが、時間
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