わび》しい。
 座敷は其方此方《そちこち》、人声《ひとごえ》して、台所には賑《にぎや》かなものの音、炉辺《ろべり》には寂《さ》びた笑《わらい》も時々聞える。
 寂《さび》しい一室《ひとま》に、ひとり革鞄《かばん》と睨《にら》めくらをした沢は、頻《しきり》に音訪《おとな》ふ、颯《さっ》……颯と云ふ秋風《あきかぜ》の漫《そぞ》ろ可懐《なつかし》さに、窓を開《あ》ける、と冷《ひややか》な峰が額《ひたい》を圧した。向う側の其の深い樹立《こだち》の中に、小さく穴の蓋《ふた》を外《は》づしたやうに、あか/\と灯影《ひかげ》の映《さ》すのは、聞及《ききおよ》んだ鍵屋であらう、二軒の他《ほか》は無い峠《とうげ》。
 一郭、中が窪《くぼ》んで、石碓《いしうす》を拡げた……右左《みぎひだり》は一面の霧《きり》。さしむかひに、其でも戸の開《あ》いた前あたり、何処《どこ》ともなしに其の色が薄かつた。
 で、つと小窓を開《ひら》くと、其処《そこ》に袖《そで》摺《す》れた秋風は、ふと向うへ遁《に》げて、鍵屋の屋根をさら/\と渡る。……颯《さっ》、颯と鳴る。而《そ》して、白い霧はそよとも動かないで、墨色《すみいろ》
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