栃木峠《とちのきとうげ》よ! 麓《ふもと》から一日がかり、上《のぼ》るに従ひ、はじめは谷に其の梢《こずえ》、やがては崖に枝|組違《くみちが》へ、次第に峠に近づくほど、左右から空を包むで、一時《ひとしきり》路《みち》は真暗《まっくら》な夜《よる》と成つた。……梢の風は、雨の如く下闇《したやみ》の草の径《こみち》を、清水が音を立てて蜘蛛手《くもで》に走る。
 前途《ゆくて》を遙《はるか》に、ちら/\と燃え行く炎が、煙《けぶり》ならず白い沫《しぶき》を飛ばしたのは、駕籠屋《かごや》が打振《うちふ》る昼中《ひるなか》の松明《たいまつ》であつた。
 漸《やっ》と茶店《ちゃや》に辿着《たどりつ》くと、其の駕籠は軒下《のきした》に建つて居たが、沢の腰を掛けた時、白い毛布《けっと》に包まつた病人らしい漢《おとこ》を乗せたが、ゆらりと上《あが》つて、すた/\行く……
 峠越《とうげごえ》の此の山路《やまみち》や、以前も旧道《ふるみち》で、余り道中の無かつた処《ところ》を、汽車が通じてからは、殆《ほとん》ど廃駅《はいえき》に成つて、猪《いのしし》も狼《おおかみ》も又戻つたと言はれる。其の年、烈《はげ》しい
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