「お客様ですか。」
 沢が、声を掛けようとして、思はず行詰《ゆきづま》つた時、向うから先んじて振向《ふりむ》いた。
「私です。」
「お入んなさいましな、待つて居たの。屹《きっ》と寝られなくつて在《い》らつしやるだらうと思つて、」
 障子の破れに、顔が艶麗《あでやか》に口の綻《ほころ》びた時に、さすがに凄《すご》かつた。が、寂《さみ》しいとも、夜半《よなか》にとも、何とも言訳《いいわけ》などするには及ばぬ。
「御勉強でございますか。」
 我ながら相応《そぐ》はない事を云つて、火桶《ひおけ》の此方《こなた》へ坐つた時、違棚《ちがいだな》の背皮の文字が、稲妻《いなずま》の如く沢の瞳《ひとみ》を射《い》た、他《ほか》には何もない、机の上なるも其の中の一冊である。
 沢は思はず、跪《ひざまず》いて両手を支《つ》いた。やがて門生《もんせい》たらむとする師なる君の著述を続刊する、皆名作の集なのであつた。
 時に、見返つた美女《たおやめ》の風采《とりなり》は、蓮葉《はすは》に見えて且《か》つ気高く、
「何《ど》うなすつたの。」
 沢は仔細を語つたのである……
 聞きつゝ、世にも嬉しげに見えて、
「頼
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