ら、一度|素通《すどお》りに、霧の中を、翌日《あす》行く方へ歩行《ある》いて見た。
 少し行くと橋があつた。
 驚いたのは、其の土橋《どばし》が、危《あぶな》つかしく壊《こわ》れ壊《ごわ》れに成つて居た事では無い。
 渡掛《わたりか》けた橋の下は、深さ千仭《せんじん》の渓河《たにがわ》で、畳《たた》まり畳まり、犇々《ひしひし》と蔽累《おおいかさ》なつた濃い霧を、深く貫《つらぬ》いて、……峰裏《みねうら》の樹立を射《い》る月の光が、真蒼《まっさお》に、一条《ひとすじ》霧に映つて、底から逆《さかさ》に銀鱗《ぎんりん》の竜の、一畝《ひとうね》り畝《うね》つて閃《ひら》めき上《のぼ》るが如く見えた其の凄《すご》さであつた。
 流《ながれ》の音は、ぐわうと云ふ。
 沢は目《ま》のあたり、深山《しんざん》の秘密を感じて、其処《そこ》から後《あと》へ引返《ひっかえ》した。
 帰りは、幹《みき》を並べた栃《とち》の木の、星を指す偉大なる円柱《まるばしら》に似たのを廻り廻つて、山際《やまぎわ》に添つて、反対の側《かわ》を鍵屋の前に戻つたのである。
「此の柿を一つ……」
「まあ、お掛けなさいましな。」
 
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