屋さん結構よ。何の卑下する処があります。私はそれが可羨《うらやま》しい。狗《いぬ》の子だか、猫の子だか、掃溜《はきだめ》ぐらいの小屋はあっても、縁の下なら宿なし同然。このお邸《やしき》へ来るまでは、私は、あれ、あの、菊の咲く、垣根さえ憚《はばか》って、この撫子と一所に倒れて、草の露に寝たんですよ。
りく あら、あんな事を。
その まあ……奥様。
撫子 その奥様と言われるのを、済まない済まない、勿体ない、と知っていながら、つい、浅はかに、一度が二度、三度めには幽《かすか》に返事をしていました。その罰が当ったんです。いまの庖丁が可恐《おそろし》い。私はね、南京出刃打《なんきんでばうち》の小屋者なんです。
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娘二人顔を見合わす。
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俎《まないた》の上で切刻《きりきざ》まれ、磔《はりつけ》にもかかる処を、神様のような旦那様に救われました。その神様を、雪が積って、あの駒《こま》ヶ岳へあらわれる、清い気高い、白い駒、空におがんでいなければならないんだのに。女にうまれた一生の思出に、空耳でも、僻耳《ひがみみ》でも、奥さん、と言われたさに、いい気になって返事をして、確《たしか》に罰が当ったんです……ですが、この円髷《まるまげ》は言訳をするんじゃありませんけれど、そんな気なのではありません。一生涯|他《ほか》へはお嫁入りをしない覚悟、私は尼になった気です。……(涙ぐみつつ)もう、今からは怪我《けが》にだって、奥さんなんぞとおっしゃるなよ。おりくさん、おそのさん、更《あらた》めてお詫をします。
りく それでも、やっぱり奥さんですわ。ねえ、おそのさん。
その ええ、そうよ。
撫子 いいえ、いま思知ったんです、まったく罰が当りますから、私を可哀想《かわいそう》だとお思いなすったら、このお邸のおさんどん、いくや、いくや、とおっしゃってね、豆腐屋、薪屋《まきや》の方角をお教えなすって下さいまし。何にも知らない不束《ふつつか》なものですから、余所《よそ》の女中に虐《いじ》められたり、毛色の変った見世物《みせもの》だと、邸町《やしきまち》の犬に吠《ほ》えられましたら、せめて、貴女方《あなたがた》が御贔屓《ごひいき》に、私を庇《かば》って下さいな、後生ですわ、ええ。
その 私どうし
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