撫子と云うのでしたら、あの……ちょっと、台所の隅へでも、瓶に挿しましょう。
りく そう、見つけて来ましょう。(起《た》つ。)
撫子 (熟《じっ》と籠なると手の撫子とを見較《みくら》ぶ。)
りく これじゃいかが。
撫子 ああ結構よ。(瓶にさす時水なし)あら水がない。
りく 汲《く》んで来ましょう。
撫子 いいえ、撫子なんか、水がなくって沢山なの。
りく まあ、どうして?
撫子 それはね、南京流《なんきんりゅう》の秘伝なの。ほほほ。(寂しく笑う。)
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おその、蓮葉《はすは》に裏口より入る。駄菓子屋の娘。
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その 奥様。
撫子 おや、おそのさん。
その あの、奥様。お客様の御馳走《ごちそう》だって、先刻《さっき》、お台所《だいどこ》で、魚のお料理をなさるのに、小刀《ナイフ》でこしらえていらしった事を、私、帰ってお饒舌《しゃべり》をしましたら、お母《っか》さんが、まあ、何というお嬢様なんだろう。どんな御身分の方が、お慰みに、お飯事《ままごと》をなさるんでも、それでは御不自由、これを持って行って差上げな、とそう言いましてね。(言いつつ、古手拭《ふるてぬぐい》を解《ほど》く)いま研いだのを持って来ました。よく切れます……お使いなさいまし、お間に合せに。……(無遠慮に庖丁を目前《めのさき》に突出す。)
撫子 (ゾッと肩をすくめ、瞳《ひとみ》を見据え、顔色かわる)おそのさん、その庖丁は借《かり》ません。
その ええ。
撫子 出刃は私に祟《たた》るんです。早く、しまって下さいな。
その 何でございますか、田舎もので、飛んだことをしましたわ。御免なさい、おりくさん、お詫《わび》をして頂戴な。
りく お気に障りましたら、御勘弁下さいまし。
撫子 飛んでもない。お辞儀なんかしちゃあ不可《いけ》ません。おそのさん、おりくさん。
りく いいえ、奥様、私たちを、そんな、様づけになんかなさらないで、奉公人同様に、りくや。
その その、と呼棄てに、お目を掛けて下さいまし。
撫子 勿体《もったい》ないわね、あなたがたはれっきとした町内の娘さんじゃありませんか。
りく いいえ、私は車屋ですもの。
その 親仁《おやじ》は日傭取《ひようとり》の、駄菓子屋ですもの。
撫子 駄菓子屋さん立派、車
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