き者ならんとは知らざりき。ある点においては渠を支配しうべしと思いしなり。されども今この検事代理なる村越欣弥に対しては、その一髪をだに動かすべき力のわれにあらざるを覚えき。ああ、濶達《かったつ》豪放なる滝の白糸! 渠はこのときまで、おのれは人に対してかくまで意気地《いくじ》なきものとは想わざりしなり。
 渠はこの憤りと喜びと悲しみとに摧《くじ》かれて、残柳の露に俯《ふ》したるごとく、哀れに萎《しお》れてぞ見えたる。
 欣弥の眼《まなこ》は陰《ひそか》に始終恩人の姿に注げり。渠ははたして三年《みとせ》の昔天神橋上|月明《げつめい》のもとに、臂《ひじ》を把《と》りて壮語し、気を吐くこと虹《にじ》のごとくなりし女丈夫なるか。その面影もあらず、いたくも渠は衰えたるかな。
 恩人の顔は蒼白《あおざ》めたり。その頬《ほお》は削《こ》けたり。その髪は乱れたり。乱れたる髪! その夕べの乱れたる髪は活溌溌《かつはつはつ》の鉄拐《てっか》を表わせしに、今はその憔悴《しょうすい》を増すのみなりけり。
 渠は想えり。濶達豪放の女丈夫! 渠は垂死の病蓐《びょうじょく》に横たわらんとも、けっしてかくのごとき衰容をな
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