車夫は諸声《いっせい》に凱歌《かちどき》を揚げ、勢いに乗じて二歩を抽き、三歩を抽き、ますます馳《は》せて、軽迅|丸《たま》の跳《おど》るがごとく二、三間を先んじたり。
 向者《さきのほど》は腕車を流眄《しりめ》に見て、いとも揚々たりし乗り合いの一人《いちにん》は、
「さあ、やられた!」と身を悶《もだ》えて騒げば、車中いずれも同感の色を動かして、力瘤《ちからこぶ》を握るものあり、地蹈※[#「韋+鞴のつくり」、第3水準1−93−84]《じだたら》を踏むもあり、奴を叱《しっ》してしきりに喇叭《らっぱ》を吹かしむるもあり。御者は縦横に鞭を揮《ふる》いて、激しく手綱を掻《か》い繰れば、馬背の流汗|滂沱《ぼうだ》として掬《きく》すべく、轡頭《くつわづら》に噛《は》み出《い》だしたる白泡《しろあわ》は木綿《きわた》の一袋もありぬべし。
 かかるほどに車体は一上一下と動揺して、あるいは頓挫《とんざ》し、あるいは傾斜し、ただこれ風の落ち葉を捲《ま》き、早瀬の浮き木を弄《もてあそ》ぶに異ならず。乗り合いは前後に俯仰《ふぎょう》し、左右に頽《なだ》れて、片時《へんじ》も安き心はなく、今にもこの車|顛覆《
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