にして暮らしたいと言うんでさね」
 馭者は遅疑せず、渠の語るを追いて潔く答えぬ。
「よろしい。けっしてもう他人ではない」
 涼しき眼《め》と凛々しき眼とは、無量の意を含みて相合えり。渠らは無言の数秒の間に、不能語、不可説なる至微至妙の霊語を交えたりき。渠らが十年語りて尽くすべからざる心底の磅※[#「石+薄」、第3水準1−89−18]《ほうはく》は、実にこの瞬息において神会黙契されけるなり。ややありて、まず馭者は口を開きぬ。
「私は高岡の片原町《かたはらまち》で、村越欣弥《むらこしきんや》という者だ」
「私は水島友といいます」
「水島友? そうしてお宅は?」
 白糸ははたと語《ことば》に塞《つま》りぬ。渠は定まれる家のあらざればなり。
「お宅はちっと窮《こま》ったねえ」
「だって、家《うち》のないものがあるものか」
「それがないのだからさ」
 天下に家なきは何者ぞ。乞食《こつじき》の徒といえども、なおかつ雨露を凌《しの》ぐべき蔭《かげ》に眠らずや。世上の例《ならい》をもってせば、この人まさに金屋に入り、瑶輿《たまのこし》に乗るべきなり。しかるを渠は無宿《やどなし》と言う。その行ないすでに
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