、ここで月を観《み》ていたうちに、いい心地《こころもち》になって睡《ね》こんでしまった」
「おや、そう。そうして口はありましたか」
「ない!」と馭者は頭《かしら》を掉《ふ》りぬ。
白糸はしばらく沈吟したりしが、
「あなた、こんなことを申しちゃ生意気だけれど、お見受け申したところが、馬丁なんぞをなさるような御人体じゃないね」
馭者は長嘆せり。
「生得《うまれ》からの馬丁でもないさ」
美人は黙して頷《うなず》きぬ。
「愚痴《ぐち》じゃあるが、聞いてくれるか」
わびしげなる男の顔をつくづく視《なが》めて、白糸は渠の物語るを待てり。
「私は金沢の士族だが、少し仔細《しさい》があって、幼少《ちいさい》ころに家《うち》は高岡へ引っ越したのだ。そののち私一人金沢へ出て来て、ある学校へ入っているうち、阿爺《おやじ》に亡《な》くなられて、ちょうど三年前だね、余儀なく中途で学問は廃止《やめ》さ。それから高岡へ還《かえ》ってみると、その日から稼《かせ》ぎ人というものがないのだ。私が母親を過ごさにゃならんのだ。何を言うにも、まだ書生中の体《からだ》だろう、食うほどの芸はなし、実は弱ったね。亡父《おやじ
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