んが、一服貸してくださいな」
 馭者は言下《ごんか》に莨入れとマッチとを手渡して、
「煙管が壅《つま》ってます」
「いいえ、結構」
 白糸は一吃《いっきつ》を試みぬ。はたしてその言《ことば》のごとく、煙管は不快《こころわろ》き脂《やに》の音のみして、煙《けむり》の通うこと縷《いとすじ》よりわずかなり。
「なるほどこれは壅《つま》ってる」
「それで吸うにはよっぽど力が要《い》るのだ」
「ばかにしないねえ」
 美人は紙縷《こより》を撚《ひね》りて、煙管を通し、溝泥《どぶどろ》のごとき脂に面《おもて》を皺《しわ》めて、
「こら! 御覧な、無性《ぶしょう》だねえ。おまえさん寡夫《やもめ》かい」
「もちろん」
「おや、もちろんとは御挨拶《あいさつ》だ。でも、情婦《いろ》の一人や半分《はんぶん》はありましょう」
「ばかな!」と馭者は一喝《いっかつ》せり。
「じゃないの?」
「知れたこと」
「ほんとに?」
「くどいなあ」
 渠はこの問答を忌まわしげに空嘯《そらうそぶ》きぬ。
「おまえさんの壮年《とし》で、独身《ひとりみ》で、情婦がないなんて、ほんとに男子《おとこ》の恥辱《はじ》だよ。私が似合わしいの
前へ 次へ
全87ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング