てんだね」
なお渠は緘黙《かんもく》せり。その脣《くちびる》を鼓動すべき力は、渠の両腕に奮いて、馬蹄《ばてい》たちまち高く挙《あ》ぐれば、車輪はその輻《やぼね》の見るべからざるまでに快転せり。乗り合いは再び地上の瀾《なみ》に盪《ゆ》られて、浮沈の憂《う》き目に遭《あ》いぬ。
縦騁《しょうてい》五分間ののち、前途はるかに競争者の影を認め得たり。しかれども時遅れたれば、容易に追迫すべくもあらざりき。しこうして到着地なる石動《いするぎ》はもはや間近になれり。今にして一躍のもとに乗り越さずんば、ついに失敗《おくれ》を取らざるを得ざるべきなり。憐《あわ》れむべし過度の馳※[#「(矛+攵)/馬」、第4水準2−92−92]《ちぶ》に疲れ果てたる馬は、力なげに俛《た》れたる首を聯《なら》べて、策《う》てども走れども、足は重りて地を離れかねたりき。
何思いけん、御者は地上に下り立ちたり。乗り合いはこはそもいかにと見る間に、渠は手早く、一頭の馬を解き放ちて、
「姉さん済みませんが、ちょっと下りてください」
乗り合いは顔を見合わせて、この謎《なぞ》を解くに苦しめり。美人は渠の言うがままに車を下れば、
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