いうんだから、取っといたらいいじゃないか。こういうものを貰《もら》って済まないと思ったら、一骨折って今の腕車《くるま》を抽《ぬ》いてくれたまえな」
「酒手なんぞは戴かなくっても、十分骨は折ってるです」
 世話人は冷笑《あざわら》いぬ。
「そんなりっぱな口を※[#「口+世」、16−16]《き》いたって、約束が違や世話はねえ」
 御者はきと振り顧《かえ》りて、
「なんですと?」
「この馬車は腕車より迅《はや》いという約束だぜ」
 儼然《げんぜん》として御者は答えぬ。
「そんなお約束はしません」
「おっと、そうは言わせない。なるほど私たちにはしなかったが、この姉《ねえ》さんにはどうだい。六十六銭五厘のうち、一人で五十銭の酒手をお出しなすったのはこのかただよ。あの腕車より迅く行ってもらおうと思やこそ、こうして莫大《ばくだい》な酒手も奮《はず》もうというのだ。どうだ、先生、恐れ入ったか」
 鼻|蠢《うごめ》かして世話人は御者の背《そびら》を指もて撞《つ》きぬ。渠は一言《いちごん》を発せず、世話人はすこぶる得意なりき。美人は戯るるがごとくに詰《なじ》れり。
「馬丁さん、ほんとに約束だよ、どうしたっ
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