て、馬に飲《みずか》い、客に茶を売るを例とすれども、今日《きょう》ばかりは素通りなるべし、と乗り合いは心々に想《おも》いぬ。
御者はこの店頭《みせさき》に馬を駐《とど》めてけり。わが物得つと、車夫はにわかに勢いを増して、手を揮《ふ》り、声を揚《あ》げ、思うままに侮辱して駈け去りぬ。
乗り合いは切歯《はがみ》をしつつ見送りたりしに、車は遠く一団の砂煙《すなけぶり》に裹《つつ》まれて、ついに眼界のほかに失われき。
旅商人体《たびあきゅうどてい》の男は最も苛《いらだ》ちて、
「なんと皆さん、業肚《ごうはら》じゃございませんか。おとなげのないわけだけれど、こういう行き懸かりになってみると、どうも負けるのは残念だ。おい、馬丁《べっとう》さん、早く行《や》ってくれたまえな」
「それもそうですけれどもな、老者《おやじ》はまことにはやどうも。第一この疝《せん》に障《さわ》りますのでな」
と遠慮がちに訴うるは、美人の膝枕せし老夫《おやじ》なり。馬は群がる蠅《はえ》と虻《あぶ》との中に優々と水飲み、奴は木蔭《こかげ》の床几《しょうぎ》に大の字なりに僵《たお》れて、むしゃむしゃと菓子を吃《く》らえり
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