し、細目に開けた、大革鞄の、それも、わずかに口許《くちもと》ばかりで、彼が取出したのは一冊赤表紙の旅行案内。五十三次、木曾街道に縁のない事はないが。
 それを熟《じっ》と、酒も飲まずに凝視《みつ》めている。
 私も弁当と酒を買った。
 大《おおき》な蝦蟆《がま》とでもあろう事か、革鞄の吐出した第一幕が、旅行案内ばかりでは桟敷《さじき》で飲むような気はしない、が蓋《けだ》しそれは僭上《せんじょう》の沙汰で。
「まず、飲もう。」
 その気で、席へ腰を掛直すと、口を抜こうとした酒の香より、はッと面《おもて》を打った、懐しく床しい、留南奇《とめき》がある。
 この高崎では、大分旅客の出入りがあった。
 そこここ、疎《まばら》に透いていた席が、ぎっしりになって――二等室の事で、云うまでもなく荷物が小児《こども》よりは厄介に、中には大人ほど幅をしてあちこちに挟《はさま》って。勿論、知合になったあとでは失礼ながら、件《くだん》の大革鞄もその中《うち》の数の一つではあるが――一人、袴羽織で、山高を被《かぶ》ったのが仕切の板戸に突立《つッた》っているのさえ出来ていた。
 私とは、ちょうど正面、かの男と隣
前へ 次へ
全29ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング