処で、自分の身の上の事に過ぎぬ。あえて世間をどうしようなぞという野心は無さそうに見えたのに――
お供の、奴《やっこ》の腰巾着《こしぎんちゃく》然とした件《くだん》の革鞄の方が、物騒でならないのであった。
果せるかな。
小春|凪《なぎ》のほかほかとした可《い》い日和《ひより》の、午前十一時半頃、汽車が高崎に着いた時、彼は向側《むこうがわ》を立って来て、弁当を買った。そして折を片手に、しばらく硝子窓に頬杖《ほおづえ》をついていたが、
「酒、酒。」
と威勢よく呼んだ、その時は先生奮然たる態度で、のぼせるほどな日に、蒼白《あおじろ》い顔も、もう酔ったように※[#「火+赫」、第3水準1−87−66]《かッ》と勢《いきおい》づいて、この日向で、かれこれ燗《かん》の出来ているらしい、ペイパの乾いた壜《びん》、膚触《はだざわ》りも暖《あたたか》そうな二合詰を買って、これを背広の腋《わき》へ抱えるがごとくにして席へ戻る、と忙《いそが》わしく革鞄の口に手を掛けた。
私はドキリとして、おかしく時めくように胸が躍った。九段第一、否、皇国一の見世物小屋へ入った、その過般《いつか》の時のように。
しか
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