傷心した、かよわい令嬢の、背《せな》を抱く御介抱が願いたい。」
 一室は悉《ことごと》く目を注いだ、が、淑女は崩折《くずお》れもせず、柔《やわらか》な褄《つま》はずれの、彩《いろ》ある横縦の微線さえ、ただ美しく玉に刻まれたもののようである。
 ひとりかの男のみ、堅く突立《つった》って、頬を傾《かし》げて、女を見返ることさえ得《え》しない。
 赤ら顔も足も動かさなかった。
「あまつさえ、乱暴とも狼藉とも申しようのない、未練と、執着と、愚癡と、卑劣と、悪趣と、怨念と、なおその上にほとんど狂乱だと申しました。
 外ではありません。それの革鞄の鍵《かぎ》を棄てた事です。私《わたくし》は、この、この窓から遥《はるか》に巽《たつみ》の天《そら》に雪を銀線のごとく刺繍《ぬいとり》した、あの、遠山の頂を望んで投げたのです。……私《わたくし》は目を瞑《つぶ》った、ほとんだ気が狂《ちが》ったのだとお察しを願いたい。
 為業《しわざ》は狂人《きちがい》です、狂人は御覧のごとく、浅間しい人間の区々たる一個の私《わたくし》です。
 が、鍵は宇宙が奪いました、これは永遠に捜せますまい。発見《みいだ》せますまい、決
前へ 次へ
全29ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング