まま》しいなかと見たが、どうも母親に相違あるまい。
 白襟に消えもしそうに、深くさし入れた頤《おとがい》で幽《かすか》に頷《うなず》いたのが見えて、手を膝にしたまま、肩が撓《しな》って、緞子《どんす》の帯を胸高にすらりと立ったが、思うに違《たが》わず、品の可《い》い、ちと寂しいが美しい、瞼《まぶた》に颯《さっ》と色を染めた、薄《すすき》の綿に撫子《なでしこ》が咲く。
 ト挨拶をしそうにして、赤ら顔に引添って、前へ出ると、ぐい、と袖を取って引戻されて、ハッと胸で気を揉《も》んだ褄《つま》の崩れに、捌《さば》いた紅《くれない》。紅糸《べにいと》で白い爪先《つまさき》を、きしと劃《しき》ったように、そこに駒下駄が留まったのである。
 南無三宝《なむさんぽう》! 私は恥を言おう。露に濡羽《ぬれば》の烏が、月の桂《かつら》を啣《くわ》えたような、鼈甲《べっこう》の照栄《てりは》える、目前《めのさき》の島田の黒髪に、魂を奪われて、あの、その、旅客を忘れた。旅行案内を忘れた。いや、大切な件《くだん》の大革鞄を忘れていた。
 何と、その革鞄の口に、紋着《もんつき》の女の袖が挟《はさま》っていたではない
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