しょうぜん》と立ちて、淋《さび》しげにあたりを見まはしをられ候、一個《ひとり》年若き佳人にござ候。何といふいはれもあらで、薄紫のかはりたる、藤色の衣《きぬ》着けられ候ひき。
 このたび戦死したる少尉B氏の令閨《れいけい》に候。また小生知人にござ候。
 あらゆる人の嬉しげに、楽しげに、をかしげに顔色の見え候に、小生はさて置きて夫人のみあはれに悄《しお》れて見え候は、人いきりにやのぼせたまひしと案じられ、近う寄り声をかけて、もの問はむと存じ候折から、おツといふ声、人なだれを打つて立騒ぎ、悲鳴をあげて逃げ惑ふ女たちは、水車の歯にかかりて撥《は》ね飛ばされ候やう、倒れては遁《に》げ、転びては遁げ、うづまいて来る大|蜈蚣《むかで》のぐるぐると巻き込むる環のなかをこぼれ出で候が、令閨《れいけい》とおよび五三人はその中心になりて、十重二十重《とえはたえ》に巻きこまれ、遁《のが》るる隙《ひま》なく伏《ふし》まろび候ひし。警官|駈《か》けつけて後《のち》、他は皆無事に起上り候に、うつくしき人のみは、そのまま裳《もすそ》をまげて、起たず横はり候。塵埃《ちりほこり》のそのつややかなる黒髪を汚《けが》す間もな
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