》れもし、怒りもし、苛立《いらだ》ちもしたりけるが、真個《しんこ》天真なる状《さま》見えて言《ことば》を飾るとは思はれざるにぞ、これ実に白痴者なるかを疑ひつつ、一応試に愛国の何たるかを教え見むとや、少しく色を和げる、重きものいひの渋《しぶり》がちにも、
「やましいことがないでもあるまい。考へて見るが可《いい》。第一敵のために虜《とりこ》にされるといふがあるか。抵抗してかなはなかつたら、何故《なぜ》切腹をしなかつた。いやしくも神州男児だ、腸《はらわた》を掴《つか》み出して、敵のしやツ面《つら》へたたきつけて遣《や》るべき処だ。それも可《いい》、時と場合で捕はれないにも限らんが、撲《なぐ》られて痛いからつて、平気で味方の内情を白状しやうとは、呆《あき》れ果《はて》た腰抜だ。其上《それに》まだ親切に支那人《チャンチャン》の看護をしてな、高慢らしく尽力をした吹聴《ふいちょう》もないもんだ。のみならず、一旦恥辱を蒙《こうむ》つて、われわれ同胞の面汚《つらよごし》をしてゐながら、洒亜《しあ》つくで帰つて来て、感状を頂《いただ》きは何といふ心得だ。せめて土産《みやげ》に敵情でも探つて来れば、まだ言訳
前へ 次へ
全34ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング