に騒ぐ。殺せの、撲れのといふ気組《きぐみ》だ。うむ、やつぱり取つて置くか。引裂《ひっさ》いて踏むだらどうだ。さうすりや些少《ちっと》あ念ばらしにもなつて、いくらか彼奴《あいつ》らが合点《がってん》しやう。さうでないと、あれでも御国《みくに》のためには、生命《いのち》も惜まない徒《てあい》だから、どんなことをしやうも知れない。よく思案して請取るんだ、可《いい》か。」
 耳にしながら看護員は、事もなげに手に取りて、海野が言《ことば》の途切れざるに、敵より得たる感謝状は早くも衣兜《かくし》に納まりぬ。
「取つたな。」と叫びたる、海野の声の普通《ただ》ならざるに、看護員は怪む如く、
「不可《いけ》ないですか。」
「良心に問へ!」
「やましいことは些少《ちっと》もないです。」
 いと潔くいひ放《はな》ちぬ。その面貌の無邪気なる、そのいふことの淡泊なる、要するに看護員は、他の誘惑に動かされて、胸中その是非に迷ふが如き、さる心弱きものにはあらず、何らか固き信仰ありて、譬《たと》ひその信仰の迷へるにもせよ、断々乎一種他の力の如何ともしがたきものありて存せるならむ。
 海野はその答を聞くごとに、呆《あき
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