何《いか》に危険なる断崖《だんがい》の端《はし》に臨みつつあるかを、心着かざるものの如く、無心――否《いな》むしろ無邪気――の体《てい》にて、
「すべてこれが事実であるのです。」
「何だ、事実! むむ、味方のためには眼も耳も吝《おし》むで、問はず、聞かず、敵のためには粉骨碎身《ふんこつさいしん》をして、夜の目も合はさない、呼吸《いき》もつかないで働いた、それが事実であるか! いや、感心だ、恐れ入つた。その位でなければ敵から感状を頂戴《ちょうだい》する訳にはゆかんな。道理《もっとも》だ。」
 といい懸けて、夢見る如き対手《あいて》の顔を、海野はじつと瞻《みまも》りつつ、嘲《あざ》み笑ひて、声太く、
「うむ、得がたい豪傑だ。日本の名誉であらう。敵から感謝状を送られたのは、恐らく君を措《お》いて外にはあるまい。君も名誉と思ふであらうな。えらい! 実にえらい! 国の光だ。日本の花だ。われわれもあやかりたい。君、その大事の、いや、御秘蔵のものではあらうが、どうぞ一番《ひとつ》、その感謝状を拝ましてもらいたいな。」
 と口は和《やわ》らかにものいへども、胸に満《みち》たる不快の念は、包むにあまりて
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