得はある。心得はあるが、先《ま》づ聞くことを聞いてからのこととしやう。」
「は、それでは何か誰ぞの吩附《いいつけ》ででもあるのですか。」
海野は傲然《ごうぜん》として、
「誰が人に頼まれるもんか。吾《おれ》の了簡で吾が聞くんだ。」
看護員はそとその耳を傾けたり。
「ぢやあ貴下方に、他《ひと》を尋問する権利があるので?」
百人長は面《おもて》を赤うし、
「囀《さえず》るない!」
と一声高く、頭がちに一呵《いっか》しつ。驚破《すわ》といはば飛蒐《とびかか》らむず、気勢《きおい》激しき軍夫らを一わたりずらりと見渡し、その眼を看護員に睨返《ねめかえ》して、
「権利はないが、腕力じゃ!」
「え、腕力?」
看護員は犇々《ひしひし》とその身を擁《よう》せる浅黄《あさぎ》の半被《はっぴ》股引《ももひき》の、雨風に色褪《いろあ》せたる、譬《たと》へば囚徒の幽霊の如き、数個《すか》の物体を※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《みま》はして、秀《ひい》でたる眉《まゆ》を顰《ひそ》めつ。
「解りました。で、そのお聞きにならうといふのは?」
「知れてる! 先刻《さっき》からいふ通りだ。何故《なぜ》、君には国家といふ観念がないのか。痛いめを見るがつらいから、敵に白状をしやうと思ふ。その精神が解らない。(いや、左様かも知れません)なんざ、無責任極まるでないか。そんなぬらくらじや了見せんぞ、しつかりと返答しろ。」
咄々《とつとつ》迫る百人長は太き仕込杖《しこみづえ》を手にしたり。
「それでどういへば無責任にならないです?」
「自分でその罪を償ふのだ。」
「それではどうして償ひましやう。」
「敵状をいへ! 敵状を。」
と海野は少し色解《いろとけ》てどかと身重《みおも》げに椅子に凭《よ》れり。
「聞けば、君が、不思議に敵陣から帰つて来て、係りの将校が、君の捕虜になつてゐた間の経歴について、尋問があつた時、特に敵情を語れといふ、命令があつたそうだが、どういふものか君は、知らない、存じませんの一点張で押通《おっとお》して、つまりそれなりで済《す》むだといふが。え、君、二月《ふたつき》も敵陣にゐて、敵兵の看護をしたといふでないか。それで、懇篤《こんとく》で、親切で、大層奴らのために尽力をしたさうで、敵将が君を帰す時、感謝状を送つたさうだ。その位信任をされてをれば、種々《いろいろ》内幕も聞
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