っさん》だ。だからもう皆《みんな》がうすうす知つてるぜ。つい隊長様なんぞのお耳へ入つて、御存じだから、おい奴《やっこ》さむ。お前お検《しらべ》の時もそのお談話《はなし》をなすつたらう。ほんによ、お前がそんねえな腰抜たあ知らねえから、勿体《もってえ》ねえ、隊長様までが、ああ、可哀想だ、その女の父親とか眼を懸けて遣《つか》はせとおつしやらあ、恐しい冥伽《みょうが》だぜ。お前そんなことも思はねえで、べんべんと支那兵《チャンチャン》の介抱《かいほう》をして、お礼をもらつて、恥かしくもなく、のんこのしやあで、唯今帰つて来はどういふ了見だ。はじめに可哀想だと思つたほど、憎《にく》くてならねえ。支那《チャン》の探偵《いぬ》になるやうな奴は大和魂《やまとだましい》を知らねえ奴だ、大和魂を知らねえ奴あ日本人のなかまじやあねえぞ、日本人のなかまでなけりや支那人《チャン》も同一《おんなじ》だ。どてツ腹あ蹴破《けやぶ》つて、このわたを引ずり出して、噛潰《かみつぶ》して吐出すんだい!」
「其処《そこ》だ!」と海野は一喝《いっかつ》して、はたと卓子《ていぶる》を一打《ひとうち》せり。かかりし間《あいだ》他の軍夫は、しばしば同情の意を表して、舌者《ぜっしゃ》の声を打消すばかり、熱罵《ねつば》を極めて威嚇《いかく》しつ。
 楚歌《そか》一身に聚《あつま》りて集合せる腕力の次第に迫るにもかかはらず眉宇《びう》一点の懸念《けねん》なく、いと晴々《はればれ》しき面色《おももち》にて、渠《かれ》は春昼《しゅんちゅう》寂《せき》たる時、無聊《むりょう》に堪《た》えざるものの如く、片膝を片膝にその片膝を、また片膝に、交《かわ》る交る投懸けては、その都度《つど》靴音を立つるのみ。胸中おのづから閑ある如し。
 けだし赤十字社の元素たる、博愛のいかなるものなるかを信ずること、渠の如きにあらざるよりは、到底これ保ち得がたき度量ならずや。
「其処《そこ》だ。」と今|卓子《ていぶる》を打てる百人長は大に決する処ありけむ、屹《きっ》と看護員に立向ひて、
「無神経でも、おい、先刻《さっき》からこの軍夫のいふたことは多少耳へ入つたらうな。どうだ、衆目の見る処、貴様は国体のいかむを解さない非義、劣等、怯奴《きょうど》である、国賊である、破廉恥、無気力の人外《にんがい》である。皆《みんな》が貴様を以て日本人たる資格のないものと断定
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