ないんだよ。」
 としみじみいうのを、呆《あき》れた顔して、聞き澄ました、奴《やっこ》は上唇を舌で甞《な》め、眦《めじり》を下げて哄々《くっくっ》とふき出《いだ》し。
「馬鹿あ、馬鹿あいわねえもんだ。へ、へ、へ、魚《うお》が、魚が人間を釣りに来てどうするだ。尾で立ってちょこちょこ歩行《ある》いて、鰭《ひれ》で棹《さお》を持つのかよ、よう、姉《あね》さん。」
「そりゃ鰹《かつお》や、鯖《さば》が、棹を背負《しょ》って、そこから浜を歩行《ある》いて来て、軒へ踞《しゃが》むとはいわないけれど、底の知れない海だもの、どんなものが棲《す》んでいて、陽気の悪い夜なんぞ、浪に乗って来ようも知れない。昼間だって、ここへ来たものは、――今日は、三ちゃんばかりじゃないか。」
 と女房は早や薄暗い納戸の方《かた》を顧みる。

       十二

「ああ、何だか陰気になって、穴の中を見るようだよ。」
 とうら寂しげな夕間暮《ゆうまぐれ》、生干《なまび》の紅絹《もみ》も黒ずんで、四辺《あたり》はものの磯《いそ》の風。
 奴《やっこ》は、旧《もと》来た黍《きび》がらの痩《や》せた地蔵の姿して、ずらりと立並ぶ径《
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