くも》の囲《い》の檐《のき》を仰いだ、奴《やっこ》の出額《おでこ》は暗かった。
女房もそれなりに咽喉《のど》ほの白う仰向《あおむ》いて、目を閉じて見る、胸の中《うら》の覚え書。
「じゃ何だね、五月雨時分《さみだれじぶん》、夜中からあれた時だね。
まあ、お前さんは泣き出すし、爺さまもお念仏をお唱えだって。内の人はその恐しい浪の中で、生命《いのち》がけで飛込んでさ。
私はただ、波の音が恐しいので、宵から門《かど》へ鎖《じょう》をおろして、奥でお浜と寝たっけ、ねえ。
どんな烈《はげ》しい浪が来ても裏の崖《がけ》は崩れない、鉄の壁だ安心しろッて、内の人がおいいだから、そればかりをたよりにして、それでもドンと打《ぶ》つかるごとに、崖と浪とで戦《いくさ》をする、今打った大砲で、岩が破れやしまいかと、坊やをしっかり抱くばかり。夜中に乳のかれるのと、寂しいばかりを慾《よく》にして、冷《つめた》いとも寒いとも思わないで寝ていたのに、そうだったのか、ねえ、三ちゃん。
そんな、荒浪だの、恐しいあやかし火とやらだの、黒坊主だの、船幽霊《ふなゆうれい》だのの中で、内の人は海から見りゃ木《こ》の葉のよう
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