でも、姉《あね》さん、天と波と、上下《うえした》へ放れただ。昨夜《ゆうべ》、化鮫《ばけざめ》の背中出したように、一面の黄色な中に薄ぼんやり黒いものがかかったのは、嶽《たけ》の堂が目の果《はて》へ出て来ただよ。」
 女房はほっとしたような顔色《かおつき》で、
「まあ、可《よ》かったねえ、それじゃ浜へも近かったんだね。」
「思ったよりは流されていねえだよ、それでも沖へ三十里ばかり出ていたっぺい。」
「三十里、」
 とまた驚いた状《さま》である。
「何だなあ、姉《あね》さん、三十里ぐれえ何でもねえや。
 それで、はあ夜が明けると、黄色く環《わ》どって透通ったような水と天との間さ、薄あかりの中をいろいろな、片手で片身の奴《やつ》だの、首のねえのだの、蝦蟇《がま》が呼吸《いき》吹くようなのだの、犬の背中へ炎さ絡《から》まっているようなのだの、牛だの、馬だの、異形《いぎょう》なものが、影燈籠《かげどうろう》見るようにふわふわまよって、さっさと駈け抜けてどこかへ行《ゆ》くだね。」

       十

「あとで、はい、理右衛門爺《りえむじい》さまもそういっけえ、この年になるまで、昨夜《ゆうべ》ぐれえ
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