ん。本当に居ないですか、菊ちゃん。」とお縫は箪笥に凭懸《よりかか》ったまま、少し身を引いて三寸ばかり開《あ》いている襖、寝間にしておく隣の長《なが》四畳のその襖に手を懸けたが、ここに見えなければいよいよ菊枝が居ないのに極《きま》るのだと思うから、気がさしたと覚しく、猶予《ためら》って、腰を据えて、筋の緊《しま》って来る真顔は淋しく、お縫は大事を取る塩梅《あんばい》に密《そっ》と押開けると、ただ中古《ちゅうぶる》の畳なり。
「あれ、」といいさまつかつかと入ったが、慌《あわただ》しく、小僧を呼んだ。
「おっ、」と答えて弥吉は突然《いきなり》飛込んで、
「どう、どう。」
「お待ちなさいよ、いえね、弥吉どん、お前来る途《みち》で逢違《あいちが》いはしないだろうね、履物はあるし、それにしちゃあ、」
 呼び上げておきながら取留めたことを尋ねるまでもなく、お縫は半ば独言《ひとりごと》。蓋《ふた》のあいた柳行李《やなぎごうり》の前に立膝になり、ちょっと小首を傾けて、向うへ押して、ころりと、仰向けに蓋を取って、右手を差入れて底の方から擡《もた》げてみて、その手を返して、畳んだ着物を上から二ツ三ツ圧《おさ
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