驚いて猿臂《えんぴ》を伸《のば》し、親仁《おやじ》は仰向《あおむ》いて鼻筋に皺《しわ》を寄せつつ、首尾よく肩のあたりへ押廻して、手を潜《くぐ》らし、掻い込んで、ずぶずぶと流《ながれ》を切って引上げると、びっしょり舷へ胸をのせて、俯向《うつむ》けになったのは、形も崩れぬ美しい結綿《ゆいわた》の島田|髷《まげ》。身を投げて程も無いか、花がけにした鹿《か》の子の切《きれ》も、沙魚《はぜ》の口へ啣《くは》え去られないで、解《ほど》けて頸《うなじ》から頬の処へ、血が流れたようにベッとりとついている。
親仁は流に攫《さら》われまいと、両手で、その死体の半《なかば》はいまだ水に漂っているのをしっかり押えながら、わなわなと震えて早口に経を唱えた。
けれどもこれは恐れたのでも驚いたのでもなかったのである。助かるすべもありそうな、見た処の一枝の花を、いざ船に載せて見て、咽喉《のど》を突かれてでも、居はしまいか、鳩尾《みずおち》に斬《き》ったあとでもあるまいか、ふと愛惜《あいじゃく》の念|盛《さかん》に、望《のぞみ》の糸に縋《すが》りついたから、危ぶんで、七兵衛は胸が轟《とどろ》いて、慈悲の外何の色をも
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