りちが》えに川下へ流したのを、振返ってじっと瞶《みつ》め、
「お客様だぜ、待て、妙法蓮華経如来寿量品第十六。」と忙《せわ》しく張上げて念じながら、舳《へさき》を輪なりに辷《すべ》らして中流で逆に戻して、一息ぐいと入れると、小波《さざなみ》を打乱す薄月に影あるものが近《ちかづ》いて、やがて舷にすれすれになった。
飛下りて、胴の間に膝をついて、白髪天頭《しらがあたま》を左右に振ったが、突然《いきなり》水中へ手を入れると、朦朧《もうろう》として白く、人の寝姿に水の懸《かか》ったのが、一|揺《ゆれ》静《しずか》に揺れて、落着いて二三尺離れて流れる、途端に思うさま半身を乗出したので反対の側なる舷へざぶりと一波《ひとなみ》浴《あび》せたが、あわよく手先がかかったから、船は人とともに寄って死骸に密接することになった。
無意識に今|掴《つか》んだのは、ちょうど折曲げた真白《まっしろ》の肱《ひじ》の、鍵形《かぎなり》に曲った処だったので、
「しゃっちこばッたな、こいつあ日なしだ。」
とそのまま乱暴に引上げようとすると、少しく水を放れたのが、柔かに伸びそうな手答《てごたえ》があった。
「どッこい。」
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