は、蘆《あし》を渡り、柳に音ずれ、蟋蟀《きりぎりす》の鳴き細る人の枕に近づくのである。
 本所ならば七不思議の一ツに数えよう、月夜の題目船《だいもくぶね》、一人船頭。界隈《かいわい》の人々はそもいかんの感を起す。苫家《とまや》、伏家《ふせや》に灯《ともしび》の影も漏れない夜《よ》はさこそ、朝々の煙も細くかの柳を手向けられた墓のごとき屋根の下には、子なき親、夫なき妻、乳のない嬰児《みどりご》、盲目《めくら》の媼《おうな》、継母、寄合身上《よりあいしんしょう》で女ばかりで暮すなど、哀《あわれ》に果敢《はか》ない老若男女《ろうにゃくなんにょ》が、見る夢も覚めた思いも、大方この日が照る世の中のことではあるまい。
 髯《ひげ》ある者、腕車《くるま》を走らす者、外套《がいとう》を着たものなどを、同一《おなじ》世に住むとは思わず、同胞《はらから》であることなどは忘れてしまって、憂きことを、憂しと識別することさえ出来ぬまで心身ともに疲れ果てたその家この家に、かくまでに尊い音楽はないのである。
「衆生既信伏質直意柔軟《しゅじょうきしんぷくしちじきいにゅうなん》、一心欲見仏《いっしんよくけんぶつ》、不自惜 
前へ 
次へ 
全50ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング