鞭声《べんせい》粛々!――
     題目船
       七
「何じゃい。」と打棄《うっちゃ》ったように忌々《いまいま》しげに呟《つぶや》いて、頬冠《ほおかぶり》を取って苦笑《にがわらい》をした、船頭は年紀《とし》六十ばかり、痩《や》せて目鼻に廉《かど》はあるが、一癖も、二癖も、額、眦《まなじり》、口許《くちもと》の皺《しわ》に隠れてしおらしい、胡麻塩《ごましお》の兀頭《はげあたま》、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居《ひとりずまい》の、七兵衛という親仁《おやじ》である。
 七兵衛――この船頭ばかりは、仕事の了《しまい》にも早船をここへ繋《つな》いで戻りはせぬ。
 毎夜、弁天橋へ最後の船を着けると、後へ引返《ひっかえ》してかの石碑の前を漕《こ》いで、蓬莱橋まで行ってその岸の松の木に纜《もや》っておいて上《あが》るのが例《ならい》で、風雨の烈《はげ》しい晩、休む時はさし措《お》き、年月夜ごとにきっとである。
 且つ仕舞船を漕ぎ戻すに当っては名代の信者、法華経第十六|寿量品《じゅりょうぼん》の偈《げ》、自我得仏来《じがとくぶつらい》というはじめから、速成就仏身《そく 
前へ 
次へ 
全50ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング