と鐫《え》りつけ、おもてから背後《うしろ》へ草書《はしりがき》をまわして、
 此処《このところ》寛政三年波あれの時、家流れ人死するもの少からず、此の後高波の変はかりがたく、溺死《できし》の難なしというべからず、是《これ》に寄りて西入船町を限り、東吉祥寺前に至るまで凡《およ》そ長さ二百八十間余の所、家居《いえい》取払い空地となし置くものなり。
 と記して傍《かたわら》に、寛政六年|甲寅《きのえとら》十二月 日とある石の記念碑である。
「ほう、水死人の、そうか、謂《い》わば土左衛門塚。」
「おっと船中にてさようなことを、」と鳥打はつむりを縮《すく》めて、
「や!」
 響くは凄《すさま》じい水の音、神川橋の下を潜《くぐ》って水門を抜けて矢を射るごとく海に注ぐ流《ながれ》の声なり。
「念入《ねんいり》だ、恐しい。」と言いながら、寝返《ねがえり》の足で船底を蹴ったばかりで、未《いま》だに生死《しょうじ》のほども覚束《おぼつか》ないほど寝込んでいる連《つれ》の男をこの際、十万の味方と烈《はげ》しく揺動かして、
「起きないか起きないか、酷《ひど》く身に染みて寒くなった。」
 やがて平野橋、一本
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