身命《ふじじゃくしんみょう》、」と親仁は月下に小船を操る。
諸君が随処、淡路島通う千鳥の恋の辻占《つじうら》というのを聞かるる時、七兵衛の船は石碑のある処へ懸《かか》った。
いかなる人がこういう時、この声を聞くのであるか? ここに適例がある、富岡門前町のかのお縫が、世話をしたというから、菊枝のことについて記すのにちっとも縁がないのではない。
幕府の時分旗本であった人の女《むすめ》で、とある楼《うち》に身を沈めたのが、この近所に長屋を持たせ廓《くるわ》近くへ引取って、病身な母親と、長煩いで腰の立たぬ父親とを貢いでいるのがあった。
八
少なからぬ借金で差引かれるのが多いのに、稼高《かせぎだか》の中から渡される小遣《こづかい》は髪結《かみゆい》の祝儀にも足りない、ところを、たといおも湯にしろ両親が口を開けてその日その日の仕送《しおくり》を待つのであるから、一月と纏《まと》めてわずかばかりの額ではないので、毎々|借越《かりこし》にのみなるのであったが、暖簾名《のれんな》の婦人《おんな》と肩を並べるほど売れるので、内証で悪《にく》い顔もしないで無心に応じてはいたけれども、応ずるは売れるからで、売るのには身をもって勤めねばならないとか。
いかに孝女でも悪所において斟酌《しんしゃく》があろうか、段々|身体《からだ》を衰えさして、年紀《とし》はまだ二十二というのに全盛の色もやや褪《あ》せて、素顔では、と源平の輩《やから》に遠慮をするようになると、二度三度、月の内に枕が上らない日があるようになった。
扱帯《しごき》の下を氷で冷すばかりの容体を、新造《しんぞ》が枕頭《まくらもと》に取詰めて、このくらいなことで半日でも客を断るということがありますか、死んだ浮舟なんざ、手拭《てぬぐい》で汗を拭《ふ》く度に肉が殺《そ》げて目に見えて手足が細くなった、それさえ我儘をさしちゃあおきませなんだ、貴女は御全盛のお庇《かげ》に、と小刀針《こがたなばり》で自分が使う新造《もの》にまでかかることを言われながら、これにはまた立替えさしたのが、控帳についてるので、悔しい口も返されない。
という中にも、随分気の確《たしか》な女、むずかしく謂えば意志が強いという質《たち》で、泣かないが蒼《あお》くなる風だったそうだから、辛抱はするようなものの、手元が詰《つま》るに従うて謂うまじき無
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