》に蔵《しま》った。
 乏しい様子が、燐寸ばかりも、等閑《なおざり》になし得ない道理は解《よ》めるが、焚残《もえのこ》りの軸を何にしよう……
 蓋《けだ》し、この年配《とし》ごろの人数《ひとかず》には漏れない、判官贔屓《ほうがんびいき》が、その古跡を、取散らすまい、犯すまいとしたのであった――
「この松の事だろうか……」
 ――金石《かないわ》の湊《みなと》、宮の腰の浜へ上って、北海の鮹《たこ》と烏賊《いか》と蛤《はまぐり》が、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽《おかし》な昔話がある――
 人待石に憩《やす》んだ時、道中の慰みに、おのおの一芸を仕《つかまつ》ろうと申合す。と、鮹が真前《まっさき》にちょろちょろと松の木の天辺《てっぺん》へ這《は》って、脚をぶらりと、
「藤の花とはどうだの、下《さが》り藤、上《あが》り藤。」と縮んだり伸びたり。
 烏賊が枝へ上って、鰭《ひれ》を張った。
「印半纏《しるしばんてん》見てくんねえ。……鳶職《とび》のもの、鳶職のもの。」
 そこで、蛤が貝を開いて、
「善光寺様、お開帳。」とこう言うのである。
 鉈豆煙管《なたまめぎせる》を噛《か》むように啣《くわ》えながら、枝を透かして仰ぐと、雲の搦《から》んだ暗い梢は、ちらちらと、今も紫の藤が咲くか、と見える。

       三

「――あすこに鮹が居ます――」
 とこの高松の梢に掛《かか》った藤の花を指《ゆびさ》して、連《つれ》の職人が、いまのその話をした時は……
 ちょうど藤つつじの盛《さかり》な頃を、父と一所に、大勢で、金石の海へ……船で鰯網《いわしあみ》を曵《ひ》かせに行《ゆ》く途中であった……
 楽しかった……もうそこの茶店で、大人たちは一度|吸筒《すいづつ》を開いた。早や七年も前になる……梅雨晴の青い空を、流るる雲に乗るように、松並木の梢を縫って、すうすうと尾長鳥が飛んでいる。
 長閑《のどか》に、静《しずか》な景色であった。
 と炎天に夢を見る様に、恍惚《うっとり》と松の梢に藤の紫を思ったのが、にわかに驚く! その次なる烏賊の芸当。
 鳶職《とび》というのを思うにつけ、学生のその迫った眉はたちまち暗かった。
 松野謹三、渠《かれ》は去年の秋、故郷《ふるさと》の家が焼けたにより、東京の学校を中途にして帰ったまま、学資の出途《しゅっと》に窮するため、拳《こぶし》を握り、足を
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