ずるに我が家の門附《かどづけ》を聞徳《ききどく》に、いざ、その段になった処で、件《くだん》の(出ないぜ。)を極《き》めてこまそ心積りを、唐突《だしぬけ》に頬被を突込《つッこ》まれて、大分|狼狽《うろた》えたものらしい。もっとも居合わした客はなかった。
 門附は、澄まして、背後《うしろ》じめに戸を閉《た》てながら、三味線を斜《はす》にずっと入って、
「あい、親方は出ずとも可《い》いのさ。私の方で入るのだから。……ねえ、女房《おかみ》さん、そんなものじゃありませんかね。」
 とちと笑声が交って聞えた。
 女房は、これも現下《いま》の博多節に、うっかり気を取られて、釜前の湯気に朦《もう》として立っていた。……浅葱《あさぎ》の襷《たすき》、白い腕を、部厚な釜の蓋《ふた》にちょっと載《の》せたが、丸髷《まるまげ》をがっくりさした、色の白い、歯を染めた中年増《ちゅうどしま》。この途端に颯《さっ》と瞼《まぶた》を赤うしたが、竈《へッつい》の前を横ッちょに、かたかたと下駄の音で、亭主の膝を斜交《はすっか》いに、帳場の銭箱《ぜにばこ》へがっちりと手を入れる。
「ああ、御心配には及びません。」
 と門附は
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