し込む。
処へ女中が手を支《つ》いて、
「御支度をなさりますか。」
「いや、やっと、今|草鞋《わらじ》を解いたばかりだ。泊めてもらうから、支度はしません。」と真面目に言う。
色は浅黒いが容子《ようす》の可《い》い、その年増の女中が、これには妙な顔をして、
「へい、御飯は召あがりますか。」
「まず酒から飲みます。」
「あの、めしあがりますものは?」
「姉さん、ここは約束通り、焼蛤《やきはまぐり》が名物だの。」
七
「そのな、焼蛤は、今も町はずれの葦簀張《よしずばり》なんぞでいたします。やっぱり松毬《まつかさ》で焼きませぬと美味《おいし》うござりませんで、当家《うち》では蒸したのを差上げます、味淋《みりん》入れて味美《あじよ》う蒸します。」
「ははあ、栄螺《さざえ》の壺焼《つぼやき》といった形、大道店で遣りますな。……松並木を向うに見て、松毬のちょろちょろ火、蛤の煙がこの月夜に立とうなら、とんと竜宮の田楽《でんがく》で、乙姫様《おとひめさま》が洒落《しゃれ》に姉《あね》さんかぶりを遊ばそうという処、また一段の趣《おもむき》だろうが、わざとそれがために忍んでも出られまい
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