な人を二人見て、遣切れなくなってこの家《うち》へ飛込んだ。が、流《ながし》の笛が身体《からだ》に刺《ささ》る。いつもよりはなお激しい。そこへまた影を見た。美しい影も見れば、可恐《おそろ》しい影も見た。ここで按摩が殺す気だろう。構うもんか、勝手にしろ、似たものを引《ひき》つけて、とそう覚悟して按摩さん、背中へ掴《つかま》ってもらったんだ。
 が、筋を抜かれる、身を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》られる、私が五体は裂けるようだ。」
 とまた差俯向《さしうつむ》く肩を越して、按摩の手が、それも物に震えながら、はたはたと戦《おのの》きながら、背中に獅噛《しが》んだ面《つら》の附着《くッつ》く……門附の袷《あわせ》の褪《あ》せた色は、膚薄《はだうす》な胸を透かして、動悸《どうき》が筋に映るよう、あわれ、博多の柳の姿に、土蜘蛛《つちぐも》一つ搦《から》みついたように凄《すご》く見える。
「誰や!」
 と、不意に吃驚《びっくり》したような女房の声、うしろ見られる神棚の灯《ともし》も暗くなる端に、べろべろと紙が濡れて、門《かど》の腰障子に穴があいた。それを見咎《みとが》めて一つ喚《わめ》く、とがたがたと、跫音《あしおと》高く、駈《か》け退《の》いたのは御亭どの。
 いや、困った親仁《おやじ》が、一人でない、薪雑棒《まきざっぽう》、棒千切《ぼうちぎ》れで、二人ばかり、若いものを連れていた。

「御老体、」
 雪叟が小鼓を緊《し》めたのを見て……こう言って、恩地源三郎が儼然《げんぜん》として顧みて、
「破格のお附合い、恐《おそれ》多いな。」
 と膝に扇を取って会釈をする。
「相変らず未熟でござる。」
 と雪叟が礼を返して、そのまま座を下へおりんとした。
「平に、それは。」
「いや、蒲団の上では、お流儀に失礼じゃ。」
「は、その娘《こ》の舞が、甥《おい》の奴の俤《おもかげ》ゆえに、遠慮した、では私も、」
 と言った時、左右へ、敷物を斉《ひと》しく刎《は》ねた。
「嫁女、嫁女、」
 と源三郎、二声呼んで、
「お三重さんか、私は嫁と思うぞ。喜多八の叔父源三郎じゃ、更《あらた》めて一さし舞え。」
 二人の名家が屹《きっ》と居直る。
 瞳の動かぬ気高い顔して、恍惚《うっとり》と見詰めながら、よろよろと引退《ひきさが》る、と黒髪うつる藤紫、肩も腕《かいな》も嬌娜《なよやか》ながら、袖に構えた扇の利剣、霜夜に声も凜々《りんりん》と、
「……引上げたまえと約束し、一つの利剣を抜持って……」
 肩に綾《あや》なす鼓の手影、雲井の胴に光さし、艶《つや》が添って、名誉が籠《こ》めた心の花に、調《しらべ》の緒の色、颯《さっ》と燃え、ヤオ、と一つ声が懸《かか》る。
「あっ、」
 とばかり、屹《きっ》と見据えた――能楽界の鶴なりしを、雲隠れつ、と惜《おし》まれた――恩地喜多八、饂飩屋の床几《しょうぎ》から、衝《つ》と片足を土間に落して、
「雪叟が鼓を打つ! 鼓を打つ!」と身を揉《も》んだ、胸を切《せ》めて、慌《あわただ》しく取って蔽《おお》うた、手拭に、かっと血を吐いたが、かなぐり棄てると、右手《めて》を掴《つか》んで、按摩の手をしっかと取った。
「祟《たた》らば、祟れ、さあ、按摩。湊屋の門《かど》まで来い。もう一度、若旦那が聞かしてやろう。」
 と、引立《ひった》てて、ずいと出た。
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「(源三郎)……かくて竜宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔に、かの玉をこめ置《おき》、香花《こうげ》を備え、守護神は八竜|並居《なみい》たり、その外悪魚|鰐《わに》の口、遁《のが》れがたしや我《わが》命、さすが恩愛の故郷《ふるさと》のかたぞ恋しき、あの浪のあなたにぞ……」
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 その時、漲《みなぎ》る心の張《はり》に、島田の元結《もとゆい》ふッつと切れ、肩に崩るる緑の黒髪。水に乱れて、灯に揺《ゆら》めき、畳の海は裳《もすそ》に澄んで、塵《ちり》も留《とど》めぬ舞振《まいぶり》かな。
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「(源三郎)……我子《わがこ》は有《あ》らん、父大臣もおわすらむ……」
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 と声が幽《かす》んで、源三郎の地《じ》謡う節が、フト途絶えようとした時であった。
 この湊屋の門口で、爽《さわやか》に調子を合わした。……その声、白き虹《にじ》のごとく、衝《つ》と来て、お三重の姿に射《さ》した。
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「(喜多八)……さるにてもこのままに別れ果《はて》なんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」
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「やあ、大事な処、倒れるな。」
 と源三郎すっと座を立ち、よろめく三重の背《せな》を支えた、老《おい》の腕
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