間拍子の分らない、まんざらの素人は、盲目聾《めくらつんぼ》で気にはしないが、ちと商売人の端くれで、いささか心得のある対手《あいて》だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引掛《ひっかか》って、節が不状《ぶざま》に蹴躓《けつまず》く。三味線の間《あい》も同一《おんなじ》だ。どうです、意気なお方に釣合わぬ……ン、と一ツ刎《は》ねないと、野暮な矢の字が、とうふにかすがい、糠《ぬか》に釘でぐしゃりとならあね。
 さすがに心得のある奴だけ、商売人にぴたりと一ツ、拍子で声を押伏《おっぷ》せられると、張った調子が直ぐにたるんだ。思えば余計な若気の過失《あやまち》、こっちは畜生の浅猿《あさま》しさだが、対手《あいて》は素人の悲しさだ。
 あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと衝《つ》と汗を流し、死声《しにごえ》を振絞ると、頤《あご》から胸へ膏《あぶら》を絞った……あのその大きな唇が海鼠《なまこ》を干したように乾いて来て、舌が硬《こわ》って呼吸《いき》が発奮《はず》む。わなわなと震える手で、畳を掴《つか》むように、うたいながら猪口《ちょこ》を拾おうとする処、ものの本をまだ一枚とうたわぬ前《さき》、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹《したっぱら》へ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。
 はっと火のような呼吸《いき》を吐く、トタンに真俯向《まうつむ》けに突伏《つッぷ》す時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を嘗《な》めた。
(先生、御病気か。)
 って私あ莞爾《にっこり》したんだ。
(是非聞きたい、平にどうか。宗山、この上に聾《つんぼ》になっても、貴下《あなた》のを一番、聞かずには死なれぬ。)
 と拳《こぶし》を握って、せいせい言ってる。
(按摩さん。)
 と私は呼んで、
(尾上町の藤屋まで、どのくらい離れている。)
(何んで、)
 と聞く。
(間によっては声が響く。内証で来たんだ。……藤屋には私の声が聞かしたくない、叔父が一人寝てござるんだ。勇士は霜の気勢《けはい》を知るとさ――たださえ目敏《めざと》い老人《としより》が、この風だから寝苦しがって、フト起きてでもいるとならない、祝儀は置いた。帰るぜ。)
 ト宗山が、凝《じっ》と塞《ふさ》いだ目を、ぐるぐると動かして、
(暫《しばら》く、今の拍子を打ちなされ……古市から尾上町まで声が聞えようか、と言いなされる、御大言、年のお少《わか》さ。まだ一度《ひとたび》も声は聞かず、顔はもとより見た事もなけれども……当流の大師匠、恩地源三郎どの養子と聞く……同じ喜多八氏の外にはあるまい。さようでござろう、恩地、)
 と私の名をちゃんと言う。
 ああ、酔った、」
 と杯をばたりと落した。
「饒舌《しゃべ》って悪い私の名じゃない。叔父に済まない。二人とも、誰にも言うな。……」
 と鷹揚《おうよう》で、按摩と女房に目をあしらい。
「私は羽織の裾を払って、
(違ったような、当ったようだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗山か。若布《わかめ》の附焼でも土産に持って、東海道を這《は》い上れ。恩地の台所から音信《おとず》れたら、叔父には内証で、居候の腕白が、独楽《こま》を廻す片手間に、この浦船でも教えてやろう。)
 とずっと立つ。

       二十二

「痘瘡《あばた》の中に白眼《しろまなこ》を剥《む》いて、よたよたと立上って、憤《いきどお》った声ながら、
(可懐《なつかし》いわ、若旦那、盲人の悲しさ顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、一撫《ひとな》で、撫でさせて下され。)
 と言う。
 いや、撫られて堪《たま》りますか。
 摺抜《すりぬ》けようとするんだがね、六畳の狭い座敷、盲目《めくら》でも自分の家《うち》だ。
 素早く、階子段《はしごだん》の降口を塞《ふさ》いで、むずと、大手を拡げたろう。……影が天井へ懸《かか》って、充満《いっぱい》の黒坊主が、汗膏《あせあぶら》を流して撫じょうとする。
 いや、その嫉妬《しっと》執着《しゅうぢゃく》の、険な不思議の形相が、今もって忘れられない。
(可厭《いや》だ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする、よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。風は轟々《ごうごう》と当る。ただ黒雲に捲《ま》かれたようで、可恐《おそろ》しくなった、凄《すご》さは凄し。
 衝《つ》と、引潜《ひっくぐ》って、ドンと飛び摺りに、どどどと駈《か》け下りると、ね。
(袖《そで》や、止めませい。)
 と宗山が二階で喚《わめ》いた。皺枯声《しわがれごえ》が、風でぱっと耳に当ると、三四人立騒ぐ女の中から、すっと美しく姿を抜いて、格子を開けた門口《かどぐち》で、しっかり掴《つか》まる。吹きつけて揉《も》む風で、颯《さっ》と紅《あか》い褄《つま》が
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