きだ》す……後《あと》の車も続いて駈《か》け出す。と二台がちょっと摺《す》れ摺れになって、すぐ旧《もと》の通り前後《あとさき》に、流るるような月夜の車。
三
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お月様がちょいと出て松の影、
アラ、ドッコイショ、
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と沖の浪の月の中へ、颯《さっ》と、撥《ばち》を投げたように、霜を切って、唄い棄《す》てた。……饂飩屋《うどんや》の門《かど》に博多節を弾いたのは、転進《てんじん》をやや縦に、三味線《さみせん》の手を緩めると、撥を逆手《さかて》に、その柄で弾《はじ》くようにして、仄《ほん》のりと、薄赤い、其屋《そこ》の板障子をすらりと開けた。
「ご免なさいよ。」
頬被《ほおかむ》りの中の清《すず》しい目が、釜《かま》から吹出す湯気の裏《うち》へすっきりと、出たのを一目、驚いた顔をしたのは、帳場の端に土間を跨《また》いで、腰掛けながら、うっかり聞惚《ききと》れていた亭主で、紺の筒袖にめくら縞《じま》の前垂《まえだれ》がけ、草色の股引《ももひき》で、尻からげの形《なり》、にょいと立って、
「出ないぜえ。」
は、ずるいな。……案ずるに我が家の門附《かどづけ》を聞徳《ききどく》に、いざ、その段になった処で、件《くだん》の(出ないぜ。)を極《き》めてこまそ心積りを、唐突《だしぬけ》に頬被を突込《つッこ》まれて、大分|狼狽《うろた》えたものらしい。もっとも居合わした客はなかった。
門附は、澄まして、背後《うしろ》じめに戸を閉《た》てながら、三味線を斜《はす》にずっと入って、
「あい、親方は出ずとも可《い》いのさ。私の方で入るのだから。……ねえ、女房《おかみ》さん、そんなものじゃありませんかね。」
とちと笑声が交って聞えた。
女房は、これも現下《いま》の博多節に、うっかり気を取られて、釜前の湯気に朦《もう》として立っていた。……浅葱《あさぎ》の襷《たすき》、白い腕を、部厚な釜の蓋《ふた》にちょっと載《の》せたが、丸髷《まるまげ》をがっくりさした、色の白い、歯を染めた中年増《ちゅうどしま》。この途端に颯《さっ》と瞼《まぶた》を赤うしたが、竈《へッつい》の前を横ッちょに、かたかたと下駄の音で、亭主の膝を斜交《はすっか》いに、帳場の銭箱《ぜにばこ》へがっちりと手を入れる。
「ああ、御心配には及びません。」
と門附は物優しく、
「串戯《じょうだん》だ、強請《ゆする》んじゃありません。こっちが客だよ、客なんですよ。」
細長い土間の一方は、薄汚れた縦に六畳ばかりの市松畳、そこへ上れば坐れるのを、釜に近い、床几《しょうぎい》の上に、ト足を伸ばして、
「どうもね、寒くって堪《たま》らないから、一杯|御馳走《ごちそう》になろうと思って。ええ、親方、決してその御迷惑を掛けるもんじゃありません。」
で、優柔《おとな》しく頬被りを取った顔を、と見ると迷惑どころかい、目鼻立ちのきりりとした、細面《ほそおもて》の、瞼《まぶた》に窶《やつれ》は見えるけれども、目の清らかな、眉の濃い、二十八九の人品《ひとがら》な兄哥《あにい》である。
「へへへへ、いや、どうもな、」
と亭主は前へ出て、揉手《もみで》をしながら、
「しかし、このお天気続きで、まず結構でござりやすよ。」と何もない、煤《すす》けた天井を仰ぎ仰ぎ、帳場の上の神棚へ目を外《そ》らす。
「お師匠さん、」
女房前垂をちょっと撫《な》でて、
「お銚子《ちょうし》でございますかい。」と莞爾《にっこり》する。
門附は手拭の上へ撥《ばち》を置いて、腰へ三味線を小取廻《ことりまわ》し、内端《うちわ》に片膝を上げながら、床几の上に素足の胡坐《あぐら》。
ト裾《すそ》を一つ掻込《かいこ》んで、
「早速一合、酒は良いのを。」
「ええ、もう飛切りのをおつけ申しますよ。」と女房は土間を横歩行《よこある》き。左側の畳に据えた火鉢の中を、邪険に火箸《ひばし》で掻《か》い掘《ほじ》って、赫《かっ》と赤くなった処を、床几の門附へずいと寄せ、
「さあ、まあ、お当りなさりまし。」
「難有《ありがて》え、」
と鉄拐《てっか》に褄《つま》へ引挟《ひッぱさ》んで、ほうと呼吸《いき》を一つ長く吐《つ》いた。
「世の中にゃ、こんな炭火があると思うと、里心が付いてなお寒い。堪《たま》らねえ。女房《おかみ》さん、銚子をどうかね、ヤケという熱燗《あつかん》にしておくんなさい。ちっと飲んで、うんと酔おうという、卑劣な癖が付いてるんだ、お察しものですぜ、ええ、親方。」
「へへへ、お方《かた》、それ極熱《ごくあつ》じゃ。」
女房は染めた前歯を美しく、
「あいあい。」
四
「時に何かね、今|此家《ここ》の前を車が二台、旅の人を乗せて駈抜《かけぬ》けたっけ、この町を、……
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