あるめえし、汝《てめえ》、定九郎《さだくろう》のように呼ぶなえ、と唇を捻曲《ねじま》げて、叔父さんとも言わせねえ、兄さんと呼べ、との御意だね。
この叔父さんのお供だろう。道中の面白さ。酒はよし、景色はよし、日和は続く。どこへ行っても女はふらない。師走の山路に、嫁菜が盛りで、しかも大輪《おおりん》が咲いていた。
とこの桑名、四日市、亀山と、伊勢路へ掛《かか》った汽車の中から、おなじ切符のたれかれが――その催《もよおし》について名古屋へ行った、私たちの、まあ……興行か……その興行の風説《うわさ》をする。嘘にもどうやら、私の評判も可《よ》さそうな。叔父はもとより。……何事も言うには及ばん。――私が口で饒舌《しゃべ》っては、流儀の恥になろうから、まあ、何某《なにがし》と言ったばかりで、世間は承知すると思って、聞きねえ。
ところがね、その私たちの事を言うついでに、この伊勢へ入ってから、きっと一所に出る、人の名がある。可いかい、山田の古市に惣市《そういち》と云う按摩鍼《あんまはり》だ。」
門附はその名を言う時、うっとりと瞳を据えた。背《せなか》を抱《いだ》くように背後《うしろ》に立った按摩にも、床几《しょうぎ》に近く裾を投げて、向うに腰を掛けた女房にも、目もくれず、凝《じっ》と天井を仰ぎながら、胸前《むなさき》にかかる湯気を忘れたように手で捌《さば》いて、
「按摩だ、がその按摩が、旧《もと》はさる大名に仕えた士族の果《はて》で、聞きねえ。私等が流儀と、同《おんな》じその道の芸の上手。江戸の宗家も、本山も、当国古市において、一人で兼ねたり、という勢《いきおい》で、自ら宗山《そうざん》と名告《なの》る天狗《てんぐ》。高慢も高慢だが、また出来る事も出来る。……東京の本場から、誰も来て怯《おびや》かされた。某《それがし》も参って拉《ひし》がれた。あれで一眼でも有ろうなら、三重県に居る代物《しろもの》ではない。今度名古屋へ来た連中もそうじゃ、贋物《にせもの》ではなかろうから、何も宗山に稽古をしてもらえとは言わぬけれど、鰻《うなぎ》の他《ほか》に、鯛《たい》がある、味を知って帰れば可いに。――と才発《さいはじ》けた商人《あきんど》風のと、でっぷりした金の入歯の、土地の物持とも思われる奴の話したのが、風説《うわさ》の中でも耳に付いた。
叔父はこくこく坐睡《いねむり》をしていたっけ。私《わっし》あ若気だ、襟巻で顔を隠して、睨《にら》むように二人を見たのよ、ね。
宿の藤屋へ着いてからも、わざと、叔父を一人で湯へ遣り……女中にもちょっと聞く。……挨拶《あいさつ》に出た番頭にも、按摩の惣市、宗山と云う、これこれした芸人が居るか、と聞くと、誰の返事も同じ事。思ったよりは高名で、現に、この頃も藤屋に泊った、何某侯《なにがしこう》の御隠居の御召に因って、上下《かみしも》で座敷を勤《し》た時、(さてもな、鼓ヶ嶽が近いせいか、これほどの松風は、東京でも聞けぬ、)と御賞美。
(的等《てきら》にも聞かせたい。)と宗山が言われます、とちょろりと饒舌《しゃべ》った。私《わっし》が夥間《なかま》を――(的等。)と言う。
的等の一人《いちにん》、かく言う私だ……」
十三
「なお聞けば、古市のはずれに、その惣市、小料理屋の店をして、妾《めかけ》の三人もある、大した勢《いきおい》だ、と言うだろう。――何を!……按摩の分際で、宗家の、宗の字、この道の、本山が凄《すさま》じい。
こう、按摩さん、舞台の差《さし》は堪忍《かに》してくんな。」
と、竊《そっ》と痛そうに胸を圧《おさ》えた。
「後で、よく気がつけば、信州のお百姓は、東京の芝居なんぞ、ほんとの猪《しし》はないとて威張る。……な、宮重大根が日本一なら、蕪《かぶ》の千枚漬も皇国無双で、早く言えば、この桑名の、焼蛤も三都無類さ。
その気で居れば可いものを、二十四の前厄なり、若気の一図《いちず》に苛々《いらいら》して、第一その宗山が気に入らない。(的等。)もぐっと癪《しゃく》に障れば、妾三人で赫《かっ》とした。
維新以来の世がわりに、……一時《ひとしきり》私等の稼業がすたれて、夥間《なかま》が食うに困ったと思え。弓矢取っては一万石、大名株の芸人が、イヤ楊枝《ようじ》を削る、かるめら焼を露店で売る。……蕎麦屋《そばや》の出前持になるのもあり、現在私がその小父者《おじご》などは、田舎の役場に小使いをして、濁り酒のかすに酔って、田圃《たんぼ》の畝《あぜ》に寝たもんです。……
その妹だね、可いかい、私の阿母《おふくろ》が、振袖の年頃を、困る処へ附込んで、小金《こがね》を溜めた按摩めが、ちとばかりの貸を枷《かせ》に、妾にしよう、と追い廻わす。――危《あぶな》く駒下駄を踏返して、駕籠《かご》でなくっちゃ見なかっ
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