ぼ》えられることではないんださうで、お亡《なく》んなすつた、父様《おとつさん》トこの母様《おつかさん》とが聞《き》いても身震《みぶるひ》がするやうな、そう[#「そう」に「ママ」の注記]いふ酷《ひど》いめに、苦《くる》しい、痛《いた》い、苦《くる》しい、辛《つら》い、惨刻《ざんこく》なめに逢《あ》つて、さうしてやう/\お分《わか》りになつたのを、すつかり私《わたし》に教《おし》へて下《くだ》すつたので。私《わたし》はたゞ母《かあ》ちやん/\てツて母様《おつかさん》の肩《かた》をつかまいたり、膝《ひざ》にのつかつたり、針箱《はりばこ》の引出《ひきだし》を交《ま》ぜかへしたり、物《もの》さしをまはして見《み》たり、縫裁《おしごと》の衣服《きもの》を天窓《あたま》から被《かぶ》つて見《み》たり、叱《しか》られて逃《に》げ出《だ》したりして居《ゐ》て、それでちやんと教《をし》へて頂《いたゞ》いて、其《それ》をば覚《おぼ》えて分《わか》つてから、何《なん》でも鳥《とり》だの、獣《けだもの》だの、草《くさ》だの、木《き》だの、虫《むし》だの、簟《きのこ》だのに人《ひと》が見《み》えるのだからこんなおもしろい、結構《けつかう》なことはない。しかし私《わたし》にかういふいゝことを教《をし》へて下《くだ》すつた母様《おつかさん》は、とさう思《おも》ふ時《とき》は鬱《ふさ》ぎました。これはちつともおもしろくなくつて悲《かな》しかつた、勿体《もつたい》ないとさう思《おも》つた。
だつて母様《おつかさん》がおろそかに聞《き》いてはなりません。私《わたし》がそれほどの思《おもひ》をしてやう/\お前《まへ》に教《をし》へらるゝやうになつたんだから、うかつに聞《き》いて居《ゐ》ては罰《ばち》があたります。人間《にんげん》も鳥獣《てうぢゆう》も草木《さうもく》も、混虫類《こんちゆうるゐ》も皆《みんな》形《かたち》こそ変《かは》つて居《ゐ》てもおんなじほどのものだといふことを。
トかうおつしやるんだから。私《わたし》はいつも手《て》をついて聞《き》きました。
で、はじめの内《うち》は何《ど》うしても人《ひと》が鳥《とり》や、獣《けだもの》とは思《おも》はれないで、優《やさ》しくされれば嬉《うれ》しかつた、叱《しか》られると恐《こは》かつた、泣《な》いてると可哀想《かあいさう》だつた、そしていろんなこと
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