め二重括弧、1−2−54]詰《つま》らない、そりや囀《さへづ》るんです。ものをいふのぢやあなくツて、囀《さへづ》るの、だから何《なに》をいふんだか分《わか》りますまい※[#終わり二重括弧、1−2−55]ツて聞《き》いたよ。僕《ぼく》ね、あのウだつてもね、先生《せんせい》、人だつて、大勢《おほぜい》で、皆《みんな》が体操場《たいさうば》で、てんでに何《なに》かいつてるのを遠《とほ》くン処《とこ》で聞《き》いて居《ゐ》ると、何《なに》をいつてるのか些少《ちつと》も分《わか》らないで、ざあ/\ツて流《なが》れてる川《かは》の音《おと》とおんなしで僕《ぼく》分《わか》りませんもの。それから僕《ぼく》の内《うち》の橋《はし》の下《した》を、あのウ舟《ふね》漕《こ》いで行《ゆ》くのが何《なん》だか唄《うた》つて行《ゆ》くけれど、何《なに》をいふんだかやつぱり鳥《とり》が声《こゑ》を大《おほ》きくして長《なが》く引《ひつ》ぱつて鳴《な》いてるのと違《ちが》ひませんもの。ずツと川下《かはしも》の方《はう》でほう/\ツて呼《よ》んでるのは、あれは、あの、人《ひと》なんか、犬《いぬ》なんか、分《わか》りませんもの。雀《すゞめ》だつて、四十雀《しじふから》だつて、軒《のき》だの、榎《えのき》だのに留《と》まつてないで、僕《ぼく》と一所《いつしよ》に坐《すわ》つて話《はな》したら皆《みんな》分《わか》るんだけれど、離《はな》れてるから聞《き》こえませんの。だつてソツとそばへ行《い》つて、僕《ぼく》、お談話《はなし》しやうと思《おも》ふと、皆《みんな》立《た》つていつてしまひますもの、でも、いまに大人《おとな》になると、遠《とほ》くで居《ゐ》ても分《わか》りますツて、小《ちひ》さい耳《みゝ》だから、沢山《たんと》いろんな声《こゑ》が入《はい》らないのだつて、母様《おつかさん》が僕《ぼく》、あかさん[#「あかさん」に傍点]であつた時分《じぶん》からいひました。犬《いぬ》も猫《ねこ》も人間《にんげん》もおんなじだつて。ねえ、母様《おつかさん》、だねえ母様《おつかさん》、いまに皆《みんな》分《わか》るんだね。」
第三
母様《おつかさん》は莞爾《につこり》なすつて、
「あゝ、それで何《なに》かい、先生《せんせい》が腹《はら》をお立《た》ちのかい。」
そればかりではなかつた。私《わたし》
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