られるたびに、あの眼が、何だか腹の中まで見透《みすか》すようで、おどおどしずにゃいられない。(貞)ッて一声呼ばれると、直ぐその、あとの句が、(お前、吾《おれ》の死ぬのが待遠いだろう。)とこう来るだろうと思うから、はッとしないじゃいられないわね。それで何ぞ外のことを言われると、ほッと気が休まって、その嬉しさっちゃないもんだから、用でも、何でも、いそいそする。
それにこうやって、ここへ坐って、一人でものを考えてる時は、頭の中で、ぐるぐるぐるぐる、(死ねば可い)という、鬼か、蛇《じゃ》か、何ともいわれない可恐《こわい》ものが、私の眼にも見えるように、眼前《めさき》に駈《かけ》まわっているもんだから、自分ながら恐しくッて、観音様を念じているの。そこへがらりと戸を開けられちゃあ、どうして慌てずにいられよう。(ああ、めッかった。)と、もう死んだ気になっちまう!
それが心配で、心配で、どうぞして忘れたいと思うから、けもないことにわあわあ騒いだり、笑ったり、他所《よそ》めには、さも面白そうに見えようけれど、自分じゃ泣きたいよ。あとではなおさら気がめいッて、ただしょんぼりと考え込むと、また、いつもの
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