と下りて来て、長火鉢の前に突立《つった》ち、
「ああ、喉《のど》が渇く。」
 と呟《つぶや》きながら、湯呑に冷《さま》したりし茶を見るより、無遠慮に手に取りて、
「頂戴。」
 とばかりぐっと飲みぬ。
「あら! 酷《ひど》いのね、この人は。折角冷しておいたものを。」
 わざと怨《えん》ずれば少年は微笑《ほほえ》みて、
「余ってるよ、奥様はけち[#「けち」に傍点]だねえ。」
 と湯呑を返せり。お貞は手に取りて中を覗《のぞ》き、
「何だ、けも残しゃアしない。」
 と底の方に残りたるを、薬のように仰ぎ飲みつ。
「まあ、芳《よッ》さんお坐ンな、そうしてなぜ人を、奥様々々ッて呼ぶの、嫌なこッた。」
「だって、円髷に結ってるもの、銀杏返《いちょうがえし》の時は姉様《ねえさん》だけれど、円髷の時ゃ奥様だ。」

       二

 お貞はハッとせし風情にて、少年の顔を瞻《みまも》りしが、腫《はれ》ぼったき眼に思いを籠《こ》め、
「堪忍おしよ、それはもう芳さんが言わないでも、私はこの通り髪も濃くないもんだから、自分でも束ねていたいと思うがね、旦那が不可《いけない》ッて言うから仕様がないのよ。」

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