》なる漢《おのこ》なりき。
「ちょいとこ、ちょいとこ、ちょいとこさ。」
と渠は、もと異様なる節を附し両手を掉《ふ》りて躍りながら、数年来金沢市内三百余町に飴を売りつつ往来して、十万の人一般に、よくその面を認《みし》られたるが、征清《せいしん》のことありしより、渠は活計《たつき》の趣向を変えつ。すなわち先のごとくにして軒ごとを見舞いあるき、怜悧《れいり》に米塩《べいえん》の料を稼ぐなりけり。
渠は常にものいわず、極めて生真面目《きまじめ》にして、人のその笑えるをだに見しものもあらざれども、式《かた》のごとき白痴者なれば、侮慢《ぶまん》は常に嘲笑《ちょうしょう》となる、世に最も賤《いやし》まるる者は時としては滑稽《こっけい》の材となりて、金沢の人士《ひと》は一分時の笑《わらい》の代《しろ》にとて、渠に二三厘を払うなり。
お貞はようやく胸を撫《な》でて、冷《ひやや》かに旧《もと》の座に直りつ。代価は見てのお戻りなる、この滑稽劇を見物しながら、いまだ木戸銭を払わざるにぞ、(ちょいとこさ)は身動きだもせで、そのままそこに突立《つった》ちおれり。
ややありてお貞は心着きけむ、長火鉢の引出《
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