が、あまり苦かりしにや湯をさしたり。
 少年はただ黙して聞きぬ。
 お貞は口をうるおして、
「児《こ》が出来る、もうそのしくしく泣いてばかりいる癖はなくなッて、小児《こども》にばかり気を取られて、他《ほか》に何にも考えることも、思うこともなくッて、ま、五歳《いつつ》六歳《むッつ》の時は知らず、そのしばらくの間ほど、苦労のなかった時はないよ。
 すると、その夏の初《はじめ》の頃、戸外《おもて》にがらがらと腕車《くるま》が留《とま》って、入って来た男があったの。沓脱《くつぬぎ》に突立《つった》ってて、案内もしないから、寝かし着けていた坊やを置いて、私が上り口に出て行って、
(誰方《どなた》、)といって、ふいと見ると驚いたが、よくよく見ると旦那なのよ。旦那は旦那だが、見違えるほど瘠《や》せていて、ま、それも可いが妙な恰好《かっこう》さ。
 大きな眼鏡のね、黒磨《くろずり》でもって、眉毛から眼へかけて、頬ッペたが半分隠れようという黒眼鏡を懸けて、希代さね、何のためだろう。それにあのそれ呼吸器とかいうものを口へ押着《おッつ》けてさ、おまけに鬚《ひげ》を生やしてるじゃあないか。それで高帽子《たかじ
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